思い残しは、当たり前なのだ

風花です。

いつもたくさんのご縁をありがとうございます。

梅雨が短縮気味になって、一気に雨が

降ってきましたね。湿度が辛いですが、体調は大丈夫でしょうか。


2019年の時、沖縄に一人で行った時

その湿度の凄さに、とても驚きました。

ジャングルみたいだったんですよね。。


タクシーの運転手さんが、夏場はクーラー入れとかないと

塩の強さで、部屋がカビるぞ。とまで言ってましたね。


あの時、7月の上旬で

行くべきかどうかを最後まで悩んでいた時に、

たまたまうちに縁があっていらっしゃったクライアントさんが

私と全く同じ日程で明日から沖縄入りするの。と言われて、

ああ、これはもう降参。行かないとだ。とそこで決心して、

行ってきたものでした。

まだ、首里城が燃える前で、見学できたことはありがたいことでした。

体調が悪い中、真夏の中で首里城を登り切り、下っていくと

タクシーの運転手のおじいが、お孫さんのことを待っていたのですが

『あんた、斎場御嶽に行って、自分の心を確認した方がいい』

『連れて行ってあげるから、行こう』と言われ、

導かれるように、おじいが

斎場御嶽に連れて行ってくれました。


斎場御嶽は、本当にジャングルです。昔、大激戦地だった場所ですから

防空壕のようなものも見えます。もう夕方に差し掛かっており、

一心不乱に、真っ直ぐ前だけを見て

汗だくになってサングーイを目指したのが、懐かしいです。

サングーイは、三角の形をした、小さな洞窟のようなもので、

そこを通り抜けると、遥拝所があり、茂みの中から久高島が見えます。

昔は、久高島へ向けてお祈りを捧げていたそうですね。



次の日、久高島へ向かった私は、高速船の洗礼を受け

ひどい船酔いをして久高島入り。海流が強いのに、

漁師さんたちって、ガンガン飛ばしていくんですよね。

フェリーで行くのをお勧めします

久高島は、都会と違って平屋の家作りですし、高い建物なんてどこにもなく

つまり、日陰がないわけです。とんでもなく日焼けしながら、

所々にある、不気味な入口を見なかったふりをして。

(人が立ち入ってはいけない御嶽の入り口がいくつかあるのですが

とても怖いです。)

ニライカナイが見えると言われるカベール岬へと、とにかく

自転車で爆走しました。カベール岬のところには、ポータルのようなものがあり

とても美しい黄金色を感じたのを覚えています。


昔は、久高島では風葬がされていて、ご遺体は海のそばに

そのまま置かれていたのだと言います。

今の時代では考えられないですが、例えばインドでは、

ガンジス川流域では、ご遺体をよく見かけると言いますよね。


魂が脱いだ肉体ですから、魂が一度

ボディスーツという名の肉体を脱げば

そこに私たちの意志はないわけですが、


霊体となって、日本では四十九日を目安に、世界と、世界の

間に、とどまることが多いように思います。


もしですが、早くに亡くなったとして

または、この世への何らかの未練のあった方が

もし、この世界とのお別れをして

肉体を脱いだ時、あっという間に、光になれると思いますか?

私はそうは思いません。



霊体と、魂はまた別です。

霊体の中には、その時代をいきた、その人の

思い出や、最後、どんな思いで亡くなったか。

『思い残し』というものが含まれていることがほとんどです。


もちろん、大往生したなあ、とか。

俺は、私は十分やり切ったなあとか。

そういうふうに思えるなら、そういった霊体は

あっという間に天国へいき

自由気ままに、魂を癒す時間をとることでしょうし

少しずつ今世の記憶を癒しながら、魂の姿へと戻っていくはずです。


未練が残っているかもしれないと、思うのなら

その状態を、労ってあげる必要があると

私は思います。


人は、時々勝手なことを言いますね。

事情があって、降ろすしかなかった水子ちゃんのことや

早くに亡くなった人のことを、残された側は、時々

想像するしかないもので、生前元気だったから

そのように弔おう。という考えになることもあるでしょう。


しかし、故人へ思いを馳せる時

静けさは重要なのではないでしょうか。

また、水子の魂など、くっついた魂であっても、

輪廻転生へと向かうために、祈ること。

ちょっとの間だけでも、私に会いにきてくれてありがとう。

そう、寄り添う気持ちが、残された側も

先に逝った側も癒されるのだと、思うのです。


『早く光になってね』

とだけは言えないことはあるなあと、仕事をしていて

思うのです。もしあなたが、やりたいことができないまま

肉体を脱いだ時、周りは安らかに、と声をかけるかもしれませんが

あなたは、その時に、どう思うでしょうか。


『早く』ではなくって、

生前の故人や、生まれてきたくても生まれられなかった

そういう存在へ。私たちは手を合わせて、合掌するだけで

いいのだと思います。あれや、これや、心配だとかではなく、

静かに、故人の明るさと、優しさ、そして無念、来世、、、、

一つの魂の存在感の大きさに、静かなリスペクトを

送っていきたいものです。

ちなみに、久高島についてから

鬼の横顔みたいな雲が出たのには驚きました。

怖いですよね、おいおい大丈夫か?と思ってしまった私でした。

風花


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