私の中のイザナミ様と、和合

風花です。

いつもたくさんのご縁をありがとうございます。

気づけばもう6月、紫陽花の綺麗な時期となりました。


先日の満月のこと。

満月まで、かなりきつい気分が続いた私は

早々に就寝し、次の日の仕事に備えようと、その日眠りにつきました。


明け方のことでした。おぼろげながら、心の中で、

『悲しい、、寂しい、、私はもう女じゃない、、、』

そういう嘆きの声が聞こえてきました。


実は、ここ数年、ずっと心の奥底の方に

片目が飛び出て、顔の皮膚はボロボロ、虫がたかり、

シクシク泣いている女性をずっと感じていました。


おそらくイザナミ様だろうなあという感覚があったのですが、

私には怖すぎて、心の中であっても近づくことができず


この女性は、いつも疲れ切って、ずっと洞窟の洞穴の中で、

横たわっているのです。


それを、ずっとこの数年、どうにもこうにもしてあげられず

私はただ、眺めていることしかできなかったのです。


時々、嘆きの声が聞こえてきます。

『私はもはや女でも何者でもない、それなのに、黄泉の世界のあらゆる

ガラクタは私に集まり(人の欲念や業など)

私は今もこうやって、それらを受け止める。

受け止めるだけをずっと続けているのだと。

しかし、その果てしないほどの受容は、人々の声には聞こえず

感謝もされずただ虚しいばかりである。』 とも。


『夫は私の醜い姿をみて逃げ出し、

私はさらに、女であることに嫌気がさし、今となっては朽ち果てた存在。

誰か私を愛してほしい。

誰か、私を慰めてほしい。』


『誰にも察知されず、私はこのままひとりぼっちなのだろうかと。』


そういう嘆きが聞こえてくると、

私の中でも、同じような響きが胸の中に続きます。

実際に離婚し、日々素朴な、ごく普通の自分にフォーカスを

あててくれるような人は、どこにもいないような感覚を

私もまた、個人的には、味わってきたからです。


先日、香道の先生がちらっと江戸時代の地図をアプリで

見せてくれたところ、やはり、完全に今住んでいる場所は

昔『熊野権現社』という神社があったということが判明しました。

もうね、そのガッツリ具合には、ドン引きしています。

熊野権現とは、一説には3柱いると言われ

イザナギ様、イザナミ様、そして、スサノオ様だと言われています。



・・・しかし、あの満月の明け方

朧げながらではありますが、私は勇気を持って

イザナミ様を、そのまま、ハグしてみることにしたんです。

とても勇気のいることでした。

心の中とはいえ、匂いが立ち込め、暗く、朽ち果て

シクシクと泣いているその人をハグする。


いつもの私なら、おずおずと引き下がり、やはり、眺めてみては、、

『どうしたものか』と。

そういうふうに、考え、無かったことにしようと。

みなかったことにしようと思って、すぐに立ち去るのです。


でも、そのままイザナミ様をハグをした時、

私は、同時に私の中の孤独・虚しさ・そういうシャドウと言われるような

暗く影を落とした自分自身にも感じ、ハグできたことにまず、

安堵を感じました。


イザナミ様は、とても喜び、ありがとう、ありがとう。と。

何度も涙を流して、私のハグを喜んで受け入れてくれたのでした。


しばらく、ハグを続けていると

そこに、申し訳なさそうにやってきたのはイザナギ様だったのです。

びっくりしたイザナミ様は、とても恥ずかしそうでしたが、

私の醜い姿を見たな!と怒りはせず、ただ、二人は見つめあっていました。


すると、イザナギ様が、ゆっくりとこちらへ歩き出し、

私と、イザナミ様がハグしているところへやってきて。

『すまなかった。逃げ出してすまなかった。

そのままの君を心から愛しているよ。大好きだよ。』

そういう声掛けと共に、イザナギ様は、私と、イザナミ様を包むのです。


逃げではなく、仕方なしではなく、芯の通った男性性とは

ここまで穏やかな力強さを持っているのかと、私は感心しました。

しばらく、3人でただ静かにハグを続けていると、、


私のハートの中から、イザナミ様と、イザナギ様が

ゆっくりと出ていって、私の頭上へと、昇華されて

交わるような回転を続けながら、だんだんと

上がられていくのを感じました。


イザナミ様は、朽ち果てた姿から、最初の頃の

美しいすがたへと戻り、綺麗な赤い着物を羽織っています。

イザナギ様は、より、凛々しさを感じる逞しさと、

穏やかな朝日のようなエネルギーとなり、

二人は、夫婦神として、今、微笑みあっているように

私には見えます。


多くの女性たちは、イザナミ様のような側面を自分も持っている

気分になったことは、誰しもあるのではないでしょうか。

特に独身女性や、子供のことで悩んだり、

一人で抱え込むことが多い女性たちの代表のような存在。

というふうに、私がイザナミ様を見てしまっていたのでしょう。

大反省だなあと思うのです。


また、イザナギ様は、こちらの世界へ逃げ帰ってきたとも

言われていますね。奥様のイザナミ様に追いかけられて

逃げてきたイザナギ様は、ちょっとだけ人間チックにも感じるものですね。


鬼嫁から逃げて、禊池に突っ込んだわけですからね。

しかし、生み出す力や、女性を支える力。いつか、ちゃんと向き合おう。

言葉にはしないけど、支えていきたいと思っていると。

そういう風に、理性と、行動を持って、イザナギ様なりに

この世界を生み出し、創造されてこられたのでしょう。



イザナミ様を通して、私もまた自分の子宮に手をあてた時、

ああ、私も女性で、たとえば、

子供を授かることもできるんだよなあ。(そういうパワーが

備わってるよね、という意味でです。年齢ではなくって、

受けいれ、育む力としての子宮。)

なんて、スッと思えたりもしたんですよね。



私は、今回、この熊野権現社の小さな神社の跡地から

『和合』のようなことが起きたことは、何か大きなことを

物語っているようにも感じています。


『和合』がやってきた。または、

『和愛』のようなものでもあるように感じます。


何か、私は今回のことを通して、

多くのクライアントさんたちへ、もしかしたらですが

『和合』のエネルギーを

お送りすることができるようにも、なるのかも知れませんね。

そして、私自身の内面もまた和合し、そういうエネルギーを

より、受け入れられるようにもなるでしょう。


触れ合う幸せ、触れ合わなくても、心が通う幸せ。

心地よさ。


一度、全部をおおっぴろげにして

夫婦やパートナーが向かい合う。

そんな場面も、実際にセッションの場で

あったこともあります。


私が思うのは、それぞれのパートナーの思う

理想よりも、心地よい距離感が和合のようなものであって。

必ずしも、絶対仲良しになる。というラブロマンスとして

書いているわけではないのです。

その人たちの、思う和合。

独り身であっても、これから見つかるかも知れない和合。

そういうのを、一緒に探っていき、アシストしたい私です。


また、神社は日本にたくさんありますが

こういった小さな分社の場合や、

お寺さんの中でも、管理が行き届かなかったり。

時代と共に、神の分身として鎮座されたそれぞれの

存在たちも、時に疲弊し、エネルギーを求めていることさえ

あるのだと感じます。


だから、家を建てたり、工事をするときは

清めないといけませんね。


長くなりましたが、読みたい人が読んでくれたら

それでいい話を書きました。

和合された、二人のレターも、そろそろ

降りてきそうな予感がしています。




風花






Spiritual Care

スピリチュアルケアを行う 風花のHPへようこそ。 あらゆる『見えないしがらみ』を浄化するお手伝いをしております。