痛みよ、さようなら

風花です。

こちらのブログはなかなか更新する暇がなく、

時々になってしまいます。ただ、アメブロと違って、

たくさんの人が見ている、という意識を置いて書けるので。

結構素直な形で文章を書けるなあと思っています。


気づけば春になってしまいました。


あの長い冬は、なんだったのかと思うくらいです。

近所では薔薇が咲き乱れ、半袖にサンダル姿の人もいます。


時代も、時間も、年月も、とにかくスピードが早く、

私はあえて『ついていこう』とも

思わない心境が出てしまうものです。


年末から少々、心の調子を崩した私自身のスピード感が

如実に現れているのでしょう。

それくらい、今までは外のスピード感に合わせすぎたのかも知れません。



私の中の痛みも、

あなたの中の痛みも、

いつかさよならできる時が、あるといいですね。


生きていると、色々あるもので

一生、さよなら出来ない痛みがあるように、

感じる人もいるのではと思います。


スピリチュアルケア、とブログで名付けたのには

周りの人には話せないことや、ある体験があって。


でも、それを自分自身で抱え込み

墓場まで持って行こうとする人って、

多かったりするものだなあと。

仕事をしていて思うのですが。


出来たら、生きている間のうちに

その、重い見えない十字架を、少し下ろしてほしいと

いう思いがあります。


私たちはナマモノであり、心臓が止まれば死んでしまうイキモノ。


でも現代社会は、そういうナマモノな部分、リアルな部分を

どんどん分断しようとしたり、

刺激で一体感を見出そうとしてみたり。

ちょっと『自然』じゃなさすぎる時代に突入中のようですね。



『先生、こんな話で恐縮なんだけれどね。』

という前置きのなかで、ご本人は周囲には言えない

『秘密』であったり。


またその秘密は、社会からすると重罪扱いのような

目で見られるかも、とか。きっと、

憂いの目で見られるだろうなとか。


『きっと〜だろうな』という、そういう前置きなのです。


こんなことを話したら、失望されるだろう。

きっと嫌われるだろう。


。。。そう、嫌われれるかも知れない恐怖ほど

人間にとって、辛いものなのだと思います。

私もここ最近になって、そこにフォーカスが当たりました。

嫌われたと感じ、絶望した体験があったことを

思い出したのがきっかけです。


その『前置き』の中に、

最近、気づきをもらった事がありました。


母が、子を思うように

子も、また母や父を思う無条件の愛のようなものを備えている

ということです。


これは正直、子の立場の方がより、

ストレートに湧きやすい

そういうものなのではと、思う時があります。


子供が自分の思い通りにいかないとか、

子供を強く叱ってしまい、かわいそうなことをした。

でも、そう思っているのに、やっぱり手が出てしまうとか。


止めたらいいじゃない?という一言では

片付けられない問題なのだと、私は感じます。


最近、『お母さんの中に、ルールがあったんじゃないかな?』

という言葉を私自身がもらったことで、

本当にそうだなあと思うのですが。


このルール、に子供が沿わない時ほど

お母さんたちにとって、苦しいものは

ないのかも知れないですね。


受験期のお子さんをみているママは、特に

結構自分の子供時代をここで

写鏡のように、見る事があるように思います。


でも、どんなお子さんにも、無条件の愛って備わっていて

10代後半の反抗期真っ盛りでも、ちょっとの時に見せる声、表情の中に、

汚い言葉を表現していたとしても、やっぱり、父母と繋がりたい

まっすぐさ。あえてこの父母を選んできたという真っ直ぐな想いを

感じる事がありますし


また、どうしても手が出てしまうという悩み、苦しみのなかにも


『こうあって生きてくれた方が、息子や娘にとって

幸せなんじゃないだろうか』

という、親御さんの愛も、本当の奥底にはあるんだと、思います。


しかし、家庭の場が、プロレスのようだったり、

毎日K ー1のリングのようでは

疲弊もしてしまうものですね。


私たちは、時々、嫌われたくないという気持ちから

ゴングを鳴らして、戦ってしまう時があるんだと思います。

あるいは、早々に戦線離脱し、やってられるか。と、

目を背けてしまうこともあるでしょう。


強い怒り、悲しみ、苦しみ、

その奥の中に、ダイヤモンドのように光る、

胸の中に秘められた、無条件の愛。



『痛みとさようならする』


ちょっとだけ、そう思ってみませんか。

セッションの場が、また、そうであってほしいなとも

私は思っています。


きっと、少し、気持ちが楽になるかも知れませんよ。

嫌われるという恐れも、年齢も、自分の辿った道も、

全部信じられない時ほど

痛みとさようならすることで、あなたらしい歩みを

肯定できるのかも知れません。



風花




Spiritual Care

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