信じた道を貫いて

風花です。

いつもたくさんのご縁を

ありがとうございます。


今年、11月には冥王星がいよいよ水瓶座入りを果たす時に

なってきますね。時代の大きな移り変わり。


冥王星とは、破壊と再生の星とも言われるわけですが

運命的な出来事や、日本や地球といった全体の意識そのものに

変革をもたらす流れがありそうですよね。


全体でそういうことが起きるということは、

私たち一人一人も、また、小さな宇宙のようなものですから。

それぞれの人生の中でビッグバンを起こしながら、

また進んでいくわけです。


振り返ればもう過去生のようなぐらい

昔の自分が遠ざかっていき、その都度、新しい自分が生まれていく。

平成の頃には思いもしなかったような流れと、出会い、別れ。その連鎖反応。

その速度は、令和に入ってから常に細胞が生まれ変わるような

スピード感で進んでいるように思います。


肉体を持っているうちだからこそ、

感じあい、触れ合い、ハートとハート、目と目で繋がり合う。

そういう感覚を味わいに私たちは、

わざわざ、この重い肉体を着て今、生きているのだと思います。


最初は刺激を求めてもいいと思います。肉体的な刺激、快楽でもいい。

でも、刺激は過剰になるほど、結果的に依存も、もたらすものですね。

季節が移り変わるかのように、いずれは

ゆっくり、精神的な愛へと移り変わっていけたら。

と個人的には思います。



子供の頃、私は『迷惑をかけるな』と何度も言われて生きてきました。

だから、人前で泣くことは恥ずかしく、情けないことと思い、

そういうことがあった時には、常に自分を責めたものでした。



シンガーの友人が、先日、ピアノで弾き語りをしてくれた時に

私の涙のダムが決壊したように、溢れて止まらなくなってしまった

ことがありました。


恥を忘れ、いや、むしろ『感じ抜く』ことを自分に許可して

ポロポロ落ちてくる自分の涙が、罪悪ではなく、とてもまっすぐに感じたような

気がしたんですね。ハートの中の、神聖な部分から溢れているように

感じたのです。


涙を流すことに罪悪を持つことも、もういらなくて。

悲しかったら泣けばいい。悔しかったら怒ればいい。

一つ、一つの溢れるものを自分が、自分で抱きしめられた時

ハートには安らぎと、穏やかさが生まれていったように思います。


今の仕事は基本的に一人で行なっているのですが、

時々孤独を強烈に感じることがあります。


多分、その孤独感は、愛よりも罪悪の気持ちが増したり。

愛が相手に届かないと感じた時や、

疲れが増した時に感じていたのかもしれません。


愛が湧く時、自然と『幸せであってほしい。

リラックスしてほしい。笑顔でいてほしい。』

そういうものが、ハートの内側で純粋に発動するから、

私たちは人を想うし、人に出会っていくのだと思います。


でも、孤独感を感じているということは、多分

『自分の神聖な愛に、信じる強さが持てない状態』でも

あるのかもと、ふと思ったんですよね。


結果、笑顔にできてない。

結果、子供や家族が幸せそうじゃない。幸せにできていない。


孤独は、自分に対しての厳しい結果や、評価の表れのような気もします。

結果論で考えてしまうと、自分を苦しめてしまうだけ。

人それぞれ、受け取りたい愛と、与えたい愛の

種類が違うのでしょうし。そのリクエストに応えたい。という

想いを持っている時点で、自分自身を褒めてあげないといけませんね。


今の日本は、何かあると糾弾する社会になってしまいました。

それは同時に、人々の心の余裕のなさと

いつか自分も糾弾されないかという怯えでもあるように思います。


正義と言う名のいじめっ子には、なりたくはないものですが。

私たちは、自分自身へ。いじめっ子になってしまう時が

増えているのかもしれませんね。


愛は不滅で、どこまでも永遠に燃え続ける炎のようなもの。

この炎を信じて、突き進みたいものです。

風花

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