人生に正解は、なし

風花です。

あっという間に12月となりました。ここ数年は、

お正月の実感があまり湧かず。


だいたい2月になって、やっとそういう気分になれる私です。

それだけ、時間感覚が、変わってきても

いるんだろうなと思います。

今年は特に、あっという間でしたよね。


先日ご縁があって、東日本大震災のある被災地に

少しの時間、滞在する機会をいただきました。

ここを、あの大きな津波が押し寄せたのだと思うと

綺麗な海であっても、どうしても見え方に

バイアスがかかってしまうものですね。


道路も、川沿いも、全てが新しく。

過去の津波の到達した地点には、道路標識で看板が

立てられていました。

こんなところまで到達したなんて、、言葉も出ない。


被災地の復興は、正直まだまだ時間がかかるような印象でしたし

津波が教訓になっていて、その上に日々の暮らしが少しずつ

立っている、といった感じでしょうか。


それでも、海にはたくさんの漁の船がでていて、

日々の生活をここで過ごしていく人々。

彼らが少しでも穏やかで、そして平和に過ごせますようにと

心の中で願った次第です。


今回、きっかけをいただき立ち寄れたのは、よかったと思いました。

津波が怖い、だけでどうしても

拒否感が強くなってしまうものですが、直接現状を知れてよかったです。


さて、このところ仕事が続いていて

大阪出張の帰りに京都に寄る時間が減っていたのですが


先日、帰りの新幹線がストップして新大阪駅の改札が激混みだったため、

ピンと思い立ち、久々に普通列車を経由して京都へ向かいました。

こういうこともなければ、いちいち京都に下車はしなかっただろうな。

計らいに感謝ですね。


いつも京都駅近くの東本願寺に立ち寄って、

そこの阿弥陀堂に入らせていただいているのですが

ここ半年ほど伺えずにいました。


この阿弥陀堂には、なぜか尼さんのようなお声が聞こえてくるんですよね。

『よくきたね、いらっしゃい。』

『背負った荷物はここでおろしていき』

ここまで大きいお堂で、いつでも出入りが自由な場所は

そうそうないと思います。(関東人だから尚さらかな)


お堂の中で、ゆっくり手を合わせる時間が持てるのは

嬉しいことです。


セッションは、すごくハートのパワーを消耗するところがあって。

誰かを思う気持ちがなければ、浄化力も生み出せないですが

時々引き受けすぎて、胸が苦しくなる時があります。


そういう時、ここで手を合わせ、お堂を出てしばらく風に吹かれながら

ゆっくりとした時間を持てるのは、ありがたいことで。


京都では、西本願寺派と、東本願寺派でも分かれるので、

西派の京都の友人からすると、あんまりいい目線では見れないようですが

私個人にとっては、『ととのう場所』の一つです。

メインのお堂は阿弥陀堂よりももっと大きく、親鸞聖人のお像が祀られています。

金ピカです。


人生、色々とありますが、多分正解はないんだけれども

人と関わるとか社会って、時々、『正解を求められること』が多いのだと思います。

正解かはわからないけど、それぞれがそうだと思って。その道にいて。


そして、今いる場所で、置かれた場所で咲いているわけですよね。

正解はないけれど、多分精一杯、やれることをやっていたら

もう十分立派のような気がしています。


正解を求め続けすぎて、気づいたら今世の自分の人生が

終わりかけ。なんてことがないように。

悔いが残らないように、したいものですね。


私はもう少し、自然に触れる時間を個人的には増やしたいと思います。

なんの価値にもならないこと、それが案外、人生では

大切なものなのかも知れませんね。




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